今回は、苦しい人間関係の原因となる「共依存」がテーマです。
共依存は、お互いの根本的な渇望に起因しているために、抜け出すのがなかなか難しい関係性ですが、この状態に陥っている限りは苦しみが続いてしまうため、勇気を持って脱却に向かいましょう。
そのための方法を、以下にてお伝えします。
- 当サイト内で提示している、自分と向き合うための各メソッドは、医療行為ではありません。
医学的診断や治療を要する状態の方は、必ず医療機関を受診いただきますよう、お願いいたします。 - DVやモラハラ、その他身の危険を伴うような差し迫った状況下にある方は、必ず最寄りの警察や自治体等にご相談ください。
「共依存」とは
共依存とは、元々は、何らかの「依存症患者」と、その面倒を見ることに自分の存在意義を見出し、相手の自立を妨げる「共依存者」が、共に依存状態に陥っている状態を言うようです。
現在では、広く「相互に依存し合っている上下関係」のことを指す場合が多いでしょう。
それを私なりに定義すると、自己否定や自己抑圧によって生まれている、それぞれの「自分の価値を感じたい」「愛されたい」という欲求を埋めるために、相互に利用し合う関係である、といえます。
しかし、これまでお伝えしてきた通り、そのような欲求や渇望というのは、自分で満たしてあげない限り、いくら外側を使っても、決して満たされることはありません。
そのため、共依存に陥ると、お互いに対する欲求がどんどんエスカレートしていって、苦しめ合ってしまうことになります。
共依存の特徴
「相互に依存し合う上下関係」とは、具体的にはどのようなものでしょうか。
例えば、片方が、自己重要感を得るために過剰に相手の世話を焼いたり、コントロールを行ったりするのに対して、もう片方は、自分には力がないと思い込んで相手に頼り切りになったり、理不尽な対応にも我慢をし続けたりします。
自己否定や自己抑圧の強い人は、自分で満たせていない愛情の補完を他者との関係に求めるため、特に親子や夫婦、恋人などの、より距離が近い人間関係において、顕著にこういった関係性に陥ります。
とはいえ、職場の同僚や友人など、いずれの関係においても、基本的にはその傾向のある関係を築くことになるでしょう。
この関係性におけるポイントは、一見「下」の立場の方が一方的に被害者になってしまっているように見えますが、本質的には、両者は利害において一致しているからこそ、関係が成立しているという点です。
そのため、苦しい状況を変えたいと思うのであれば、自らがその関係を作り出してしまっているという自覚を持ち、そのような関係からは抜けるということを、自分の意志で決断する必要があります。
そうでなければ、場所や相手が変わっても、同じような人間関係を繰り返してしまうことになります。
そのような関係から抜け出すための方法や考え方を、以下にてお伝えします。
共依存から抜け出すための考え方
「上」の立場から抜け出すための考え方
「弱い人間」は存在しない
相手を自分に頼らせたりコントロールしようとする人というのは、「相手は自分よりも弱い」「無知・無力である」といった決めつけに基づいて、自分が相手よりも「上」の立場に立っています。
そして、「自分が居なければ駄目だ」「救ってあげなければ、導いてあげなければ」という、ある種の正義感や責任感を伴って、「自分は意義のあることをしている」と思っているはずです。
しかし、それは驕りであるということを、まずは認識する必要があります。
力のない人間は存在しません。
それぞれに学びたいことがあり、そのために必要な現実を創り出す力があります。
学びたいのは、自分自身の心や本当の願いであり、望む生き方を実現することができる、自分の力を自覚することです。
そこに良いも悪いも、上も下もありません。
人が失敗したり間違ったりしていると、勝手に決めないでください。
その人の経験はすべて、その人にとって必要な学びになります。
何かを間違ってもいいのです、そのために人生があるのですから。
つまり、間違うことが正しいのだとすらいえます。
あなたが何らかの正しさにこだわるのだとすれば、それは、あなた自身が自分を許せていないからです。
あなたが「ねばならない」にとらわれて自分自身に制約を課しているから、人にも寛容になることができないのです。
あなただって、自由に生きて、大いに失敗したっていいのですよ。
また、何かを学ぶということは、本人の意識を用いて行う以外には、ありません。
人が人に対して何らかの学びを強いることなど、決してできないのです。
もし、あなたから何か学ぶことがあるとすれば、相手は自らの意志であなたから学び、自分なりの解釈をします。
しかし、被害者意識の強い人というのは、人生の主体が自分であるという自覚を持っていません。
自分は無力で、受け身であると思い込んでいます。
そのため、無意識のうちに、自分を被害者にしてくれる人と合意します。
つまり、「この人には力がない」と思っているあなたと、「自分には力がない」と思っている相手との利害が、一致するのです。
そして、あなたは延々と、相手が被害者であることを助長する行動を取り続けることになり、それはどんどん加速していきます。
やがて、言うことを聞かない、思い通りにならない相手にイライラして、強い言い方をしたり、厳しい態度を取ったり、時には手が出るようなことになったりするかもしれません。
そのような自分に自己嫌悪を感じるなら、自分には相手の人生をどうにかできるなどという思い上がりは、捨てましょう。
あなたには、自分を幸せにする力はありますが、「人の人生を救ってあげられる」力など、ありません。
もし、相手の人生に現実的な手助けが必要な場合は、自分だけの力でなんとかしようとせずに、専門家や自治体など、第三者の力も借りましょう。
自分を愛することで自分を満たすこと
あなたは「相手のためを思って」そのようにしてあげているのだと、頭では思っているかもしれません。
しかし、相手自身の力や人生を信じて、自由意志を尊重し、自立を促すことが、本当の意味で愛することです。
必要な存在でありたいという自分の欲求を満たすために、相手を自分に依存させて利用することは、愛ではありません。
あなたは、人を使って自分を満たそうとするのではなく、自分で自分を愛することによって、真に自分を満たしてください。
つまり、自分の労力や時間を、「自分がやりたいこと」のために使うことを、自分自身に許可してください。
あなたの欠乏感や渇望は、それができていないことによって生じています。
「こんなにしてあげているのに、何故わからないんだ」と、あなたが相手に対して苛立ちを覚えるのは、相手を自分の思い通りにコントロールするために行動しているからです。
こんなに時間を使ったのに、こんなに力を尽くしたのに、損をしたと思っているのです。
自分の労力や時間を、人を利用するという目的のために使わないでください。
それでは、あなたは決して満たされないからです。
人の人生は人のものです。
あなたの思い通りになる人間など、存在しません。
相手をコントロールするためではなく、自分が本当にそうしたいからしているのであれば、相手の反応がどうあれ、不満を感じることはありません。
自分が自分のやりたいことをやるだけで満足することができ、そのようにさせてくれた自分自身と相手に対して、自然と感謝の気持ちが湧いてくるのです。
それが「満たされる」ということです。
人が人を不幸にすることはできない
「自分がなんとかしなければ、相手が不幸になってしまう」という過剰な責任感によって、切迫感や焦燥感を感じるあまりに、過剰に相手の世話を焼いたり、コントロールしようとしてしまうことがあります。
しかし、冷静になってください。
人の人生に対して、自分の責任や影響力を感じすぎるのは、相手に原因があるのではなく、過去の何らかの経験を通して、あなた自身がそういう思い込みを持っているからです。
つまり、「自分の落ち度によって、人の人生を台無しにしてしまうかもしれない」という強迫観念に駆られており、それを防ぐことに必死になっているのです。
だからまず、あなたが向き合うべきなのは、相手ではなく、自分自身です。
潜在意識において、その思い込みを癒やす必要があります。
その際には、あなたには、人を幸せにすることも不幸にすることもできないのだということを、自分自身に伝えてあげてください。
人を幸せにするのも不幸にするのも、その人自身でしかありません。
人の主観は本人のものであり、他人に決めることはできないからです。
そして、あなたが心配しなくても、相手はあなたが思っているような、弱いだけの受け身な人間では、決してありません。
人にはそれぞれ、自分の人生を創造する力があります。
相手は相手の人生の中で、自分の学びたいことを学び、自分というものを知っていきます。
思い返せば、あなた自身も、自分で自分の人生を切り開いてきたはずです。
あなた固有の経験を通して、あなたなりの学びを得てきたはずです。
まずは、あなた自身が、自分の力を、人生を信じてください。
そのことを通して、人の人生を信じることができるようになります。
人の人生に責任を感じるのは、うぬぼれに過ぎません。
あなたには、人を救う力も、不幸にする力もありません。
相手には、自分の望む人生を生きる力があります。
ですから、人の人生を信頼して、自分の人生との間に、はっきりと線引きをしてください。
罪悪感を持ちたくないがために、相手を自分との上下関係に縛り付けようとするのは、あなたの自己満足に過ぎません。
あなたはこれから、他人の人生への責任を自分の行動の動機にするのではなく、「自分自身は本当はどうしたいのか」を軸にして生きてください。
自分のために生きること、つまり自分を愛することを通してこそ、あなたは初めて、人にも幸せや喜びを分け与えることができるのです。
「下」の立場から抜け出すための考え方
「我慢」をしても決して愛されない
あなたは、例え相手から何らかの否定をされて辛い思いをしても、本当の気持ちを言うことが出来ずに、我慢をしてしまっているのかもしれません。
それはつまり、相手から愛されたい、認められたいという欲求から、相手に媚びてしまっているということです。
この姿勢こそが、相手の支配欲求を引き出し、共依存に陥ってしまう原因です。
支配に対して迎合で応えることで、あなたも相手に対価を求めているのですから、お互いがお互いを利用し、コントロールしようとする関係になってしまうのです。
しかし、いつか相手が自分を愛してくれるのではないかと、期待をして待ち続けるのは、もうやめましょう。
自分の幻想を相手に押し付けて、都合の良い展開が訪れることを夢見るのは、今すぐ終わりにしてください。
あなたがそうやって自分を蔑ろにし続けている限り、あなたがどれだけ求めようとも、目の前の相手があなたを大事にしてくれることは、決してありません。
あなたがどれだけ尽くしても、相手は、自分の欲求を満たすために、それを利用し消費し続けるだけです。
その現実から、目をそらさないでください。
人は、あなたのあなた自身への扱いを反映しているだけなのです。
そして、人がどのような態度を取ろうとも、あなたを尊重してくれなくても、それは相手の自由なのですよ。
それを認めてあげてください。
「こんなに耐えて尽くしたのに、あなたは自分が思うように愛してくれなかった」というのは、つまり「あなたは、私が思うようにコントロールされてくれなかった」ということです。
目を覚ましてください。
あなたを傷つけてくるような相手に固執する必要など、一切ありません。
人からの愛や承認を得たいと強く望むのは、あなたが、自分からの愛によって満たされていないからです。
その欠乏によって、渇望と欲求が生まれます。
そして、それを満たすために、人に目を向ければ向けるほど、求めれば求めるほど、それは大きくなってしまうのです。
あなたが本当に求めているのは、他人ではないのです。
あなたは、自分自身に愛し認めてもらうことを、強く切望しているのです。
どうか、その心の声に耳を傾けてください。
あなたは本当は、自分自身のことを、とても愛しているのだということを思い出してください。
そして、「これからは自分を最優先する、何があっても自分自身を守り抜く」という、覚悟を決めてください。
その決断によって、初めて現実が動き出すのです。
あなたが自分を大切に扱い始めたとき、その反映として、人からも大事にされ始めるのです。
どうか、他の誰でもない、自分自身を選択する勇気を持ってください。
人に自分を委ねるようなことはやめて、自分の意志で自分のために生きてください。
本当のあなたはずっと待っています、あなたが自分の方を振り返って、あなたを愛し、守ってくれることを。
「自分には力がない」という思い込みを捨てる
それでも、あなたはしばらく、その決断に迷い続けることでしょう。
なぜ、相手を失うことが怖いのでしょうか。
それは、自分に自信がないからです。
あなたは、あなたの力では、この世界でやっていけないと思っています。
「正しさ」は、自分の外側にあり、「愛」とは、報奨として人から与えてもらうものだと思っています。
そのために、自分を押し込めて他人に従い、窮屈さを我慢しているのです。
しかし、あなたは無力で、他人の庇護の元でしか生きていけない人間なのだというのは、あなたの思い込みです。
もう、我慢することはやめてください。
あなたは誰に守ってもらわなくても、自分で自分を守ることができるのです。
いえ、他の誰でもない、あなただけが、本当のあなたを守ることができるのです。
どうか、自分の力を信じてください。
本当のあなたは、自分の力を信じて欲しいと、あなたに伝えてきてくれているはずです。
その心の声に、どうか耳を傾けてください。
あなたは、それは難しいことだと、厳しい現実の前に、自分には為す術がないと思っているのかもしれません。
でも、目の前の現実は、あなた自身が創り出したものなのですよ。
つまり、あなたには、現実を創造する力があるのです。
あなたは、自分を幸せにするために必要なすべての力を、既に持っています。
あなたがそれを信じて、自分自身を幸せにするのだと決めれば、あなたの潜在意識は、その意志を現実に反映させます。
でも、あなたはこれまで、上手に自分を愛して、幸せにしてあげることができなかった。
だから、本当に自分にできるのか、また自分を不幸にしてしまうのではないかと、不安に思っているのです。
大丈夫ですよ。
例え先が見えなくても、大して自信が持てなくても、あなたは、自分自身を守るためなら、足を踏み出す勇気を持つことができます。
あなたはそれほど、自分自身のことを、深く愛しているのです。
最初からすべて上手くできなくても、いいのですよ。
自分自身が喜ぶことを一つ一つ積み重ねていくことで、自分を幸せにできるのだという自信が、少しずつついていくのです。
本当のあなたは、あなたを待っています。
あなたが自分の手を取り、自由な世界へと連れ出してくれることを。
どうかもう、自分は愚かで、大人しく人の言うことに従っているべき存在だという思い込みで自分を縛り、抑え込むのはやめてください。
あなたが自分の意志で立ち上がり、本当の自分を解放することによって、あなたは本来の力を発揮して、豊かな人生を創造していくことができるのです。
あなたは必ず抜け出すことができる
どのような関係性だとしても、決別できない相手など存在しません。
例え血縁関係が切れなくても、婚姻関係がなかなか解消できなくても、その関係をまるで底なし沼のように感じて、決して逃れられないのだと絶望する必要はありません。
あなたが決めさえすれば、必ず道が開かれ、あなたはその不毛な関係から抜けることができます。
あなたは自由です。
あなたを縛るものは、「自分は逃れられないのだ」という、あなた自身の思い込みに他ならないのです。
その暗闇からあなたを連れ出す救いの手を差し伸べてくれているのは、あなたにとっての一筋の希望の光は、あなた自身です。
自分の力を信じてください。
あなたはあなた自身の力で、自分の人生を切り拓いていくことができるのです。
もう一度言います。
他人には、あなたの意志の力を奪うということは、決してできません。
人は加害者と被害者、両方の側面を持っている
様々な要素が絡み合って、多様なケースが存在するので、一概に「共依存とはこういう関係である」とは言い切れません。
例えば、自分が「被害者」であることを主張し、自分のケアを相手に強要する「加害者」もいます。
このような人というのは、自分がいかに傷つけられたか、丁寧なケアが必要かということを感情的に訴え、相手の罪悪感を煽ります。
時には、自分の命を盾にして、相手から自分の望む行動を引き出そうとします。
この場合、ケアを要求されている側にどのような合意があるかというと、自分に責任があると感じていたり、求められていることに自分の価値を感じたりしています。
そのために、振り切ることができず要求に対応し続け、どんどん疲弊していきます。
また、ある相手との関係においては上の立場であっても、別の関係においては下の立場になったり、同じ人間関係の中でも、時と場合によって上下関係が逆転する、ということもあります。
つまり、一人の人間の中に、加害者と被害者、両方の側面が内在しているのです。
それは不思議なことではなく、いずれにしても、自分で満たせていない自尊心や愛情に対する渇望が外側へ向かい、人にそれを求めるという根本原因は同じです。
それがどのような表れ方をするかということが、その時々で異なるだけである、というわけです。
共依存から抜け出すための、具体的なアクション
①自分の本当の気持ちを確認する
「本当にこのままでいいのか?」
まずは、自分の本当の気持ちを、誤魔化さずに受け止めてください。
違和感に対して、見て見ぬふりをするのは、もうやめましょう。
あなたが本当に望んでいるのは、どのような人間関係であり、どのような人生でしょうか。
ノートやアプリなどに書き出してみるのも良いでしょう。
②相手にはっきりと自分の気持ちを伝える
自分の気持ちが確認できたら、勇気を出して、自分の思っていることを、冷静かつ、はっきりと相手に伝えましょう。
上手く話せる自信がなければ、事前に話すことをまとめておくのも良いでしょう。
自分の気持ちを伝えるのは、あなた自身の殻を破り、対等なコミュニケーションを取るということを実践するためです。
そして、それによって、相手と新しい関係性が構築できそうかどうかを、確認するためです。
相手を変えたり、説得するためではありません。
あなたの言葉を相手がどう受け止めるか、どう行動するかは、相手に委ねましょう。
また、相手の反応によって、あなたが罪悪感や責任を感じたりする必要もありません。
この項目について、恐怖心が強くてどうしても勇気が持てない、もしくはDVやモラハラを受ける危険性がある、相手が自分の命をどうにかする可能性があるといった場合には、無理に実行せずに、次の項目に移ってください。
関係性がだいぶ煮詰まってしまっている場合は、改めて話し合うよりも、離れることを優先した方が良い場合があります。
③関係改善できなければ決別する
あなたの気持ちを伝えても、相手のスタンスが変わらないようであれば、その事実を受け入れて、勇気を持って決別しましょう。
「こうすべきだ」「こうしなければならない」といった固定観念は、捨ててください。
どのような関係性や事情があったとしても、それは、あなたが自分の人生を犠牲にしていい理由にはなりません。
あなたが最優先すべきは、あなた自身です。
それを妨げるものは、あなたには必要ありません。
もう、自分というかけがえのないの存在を、人のためのリソースにしないでください。
あなたの人生は、あなたのためにあるのです。
これからは、自分自身の人生に集中してください。
それこそが、相手からの愛に対して、本当の意味で応えることにもなります。
共依存を終わらせ、生産的な生き方をすることこそが、愛を活かすことのできる唯一の道です。
ですから、自分自身の選択に、どうか誇りを持ってください。
目の前の別れによって、一時の寂しさや切なさを感じたとしても、この時の自分の選択に、心から感謝をする日がやって来ます。
面と向かって別れを告げると、DVやモラハラを受ける危険性がある、相手が自分の命をどうにかする可能性があるといった場合には、相手には気づかれないように、離れる準備をしてください。
状況が深刻な場合は、くれぐれも一人で無理をせずに、信頼の置ける方や最寄りの警察、自治体、弁護士などの第三者に相談して、力を借りるようにしてくださいね。
④引き留められても応えない
共依存において、どちらかがその関係を終わらせようとしたとき、もう片方が、相手の自立を阻もうとする場合が多いと思います。
「自分を見捨てるのか」「薄情な人間だ」などと言われたり、それによって、罪悪感を覚えることがあるかもしれません。
しかし、そのようにして引き留めようとすることも、それに応えることも、愛のある行動ではありません。
そのような引き留めには応じず、自分を尊重し、守ることだけが、相手を本当の意味で愛することにもなります。
それによって、相手が相手自身と向き合うこと、自立することを促すことになるからです。
相手を傷つけたくないという気持ちはわかります。
しかし、長期的に見て、それは相手のためになることでしょうか。
あえて突き放して、本人に自分で考えてもらうことが、本当の愛です。
なぜなら、自ら学ぶ経験こそが、人にとっての宝だからです。
本当に愛しているなら、どうか、相手にとって必要な学びを尊重してあげてください。
そして、相手ならその学びを必ずやり遂げられると、信じてあげてください。
欲求や執着心を、愛という綺麗な言葉で誤魔化さないでください。
相手への「愛している」という強い衝動は、本当は「愛されたい」という欲求に過ぎないのです。
自分を愛することを通してしか、真に人を愛することはできません。
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「罪悪感」や「無力感」の手放し方
ここに注意!見落としがちなポイント
相手への気持ちを否定しないこと
相手を恋しく思う自分の気持ちに蓋をしようとしたり、そう感じることに罪悪感を持ったりする必要は、ありません。
また、その関係性を経験したことを、否定する必要もありません。
どのような関係であったとしても、お互いに影響を与え合ったということは、ご縁のある相手だといえます。
ですから、そのような相手を恋しく思う気持ちが生まれるのは、当然なのです。
本質的には、愛のない人間関係というものは、ありません。
あなたの観念に応じて、それが様々な形に姿を変えているというだけです。
そして、あなたはその関係から、何かを学んだはずです。
それが苦しいものであったのなら、別の形に変えたいと、自分の本心を知るきっかけになったことでしょう。
つまり、何らかの形をした愛情関係を通して、あなたは、自分の望む学びを得ることができたのです。
ですから、その人間関係も、それを通して生まれた経験も感情も、すべて肯定してあげてください。
憎まれ役というのは、学びに際して必要なものです。
自分の本当の思いや願いというのは、他人との関係の中で、逆説的に気付かされるものだからです。
否定や抑圧は、それは自分には「必要ない」ということを知るために「必要」なのです。
つまり、人の学びというのは、他者とのかかわりなくしては、決して成立しないものです。
学んだことが大きければ大きいだけ、それが苦しみを伴うものだったとしても、その取り組みを共にした相手とのご縁というのは、深いものです。
そのような相手に対して、愛しさや切なさといった感情を持つのは、とても自然なことです。
ですから、そのことを否定せずに、そのまま受け止めてあげてくださいね。
ただ、自分と相手を天秤にかけたとき、自分を優先することは決して譲れないので、相手への気持ちのままに行動するには至らない、というだけです。
それは自分の気持ちを我慢したり抑圧したりしているのではなく、自分の一番やりたいことを、自分の意志で選択しているということです。
そこに、一切の矛盾は生じません。
自分の気持ちを受容することと、自分を最優先することは、両立できるのです。
その整合性が取れてくると、相手への強い感情は、自然と落ち着いていきます。
無理に押し込めようとすると、余計に執着心が増してきてしまうので、お気をつけくださいね。
あなたの幸せは、あなたの生き方が決める
例え愛する人とずっと一緒に居られなかったとしても、そのことが不幸なのではないのです。
どんなことがあったとしても、人生を幸せなものにするかどうかは、自分自身の生き方が決めるのです。
側に居ることだけが、愛することではありません。
相手との経験を通して得たものを、あなたは忘れないでしょう。
その学びを活かして、あなたが自分を幸せにすることこそが、相手からの愛に応えることになります。
人である限り、永遠に一緒に居るということはできません。
肉体を持って生きる人間には、どのような形であれ、いずれ愛する人との別れが訪れます。
ですからそれは、そのときは辛いことであっても、不幸なことではないのです。
人として生きる上で、必然であり、とても自然なことなのです。
そしてまた、あなたの観念に応じて、新しい人間関係が訪れます。
愛が失われることは決してなく、形を変えて何度でも、あなたの前に現れるのです。
だから本当は、あなたが不幸だったことなど、一度もないのですよ。
あなたは、愛する人々と出会い、その関係の中で、一緒にお互いのやりたい学びをやってきたのですから。
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「執着心」や「葛藤」を落ち着かせる方法
「自分は強い」と思っている人ほど自分を顧みること
「自分は強い人間だから人に依存なんてしない、誰に頼らなくても一人でやっていける」と頭で思っている人に限って、弱い自分を押し込めて、見ないようにしてしまっていることが多いです。
そのような人は、深い人間関係を避けているだけで、いざ人間関係を持つと、結局は依存的になってしまうのです。
人間関係に対して消極的なのは、失望した過去の経験から、不信感を持っているからです。
「どうせいつか裏切られる」「誰も自分のことを理解してくれない」という思い込みがあるために、人に深入りしないようにバリアを張っているのです。
しかし、心の底では寂しいと思っており、愛情を求めているので、そのような人が一旦「この人なら自分を愛してくれるかもしれない」という期待を他人に抱いてしまうと、相手を理想化して、強く依存してしまいます。
要するに、他人に対する憎しみや疑念というのは、「本当は愛されたい」という強い欲求の変形であり、つまり、依存にほかならないのです。
好意にしろ敵意にしろ、他人への激情というのは、すべて「愛されたい」という渇望の発露なのです。
とはいえ、再三ご説明している通り、人に求めても満たされることはないため、欲求はどんどん増していき、執着心に苦しむことになります。
そして、そのような自分を見たくないがために、その人間関係を絶つということを繰り返しているうちに、人や世の中に対する不信感が募っていき、頑なな姿勢が強化されていってしまうのです。
そのような人が、本当の「強さ」を手に入れるためには、まずは、「弱い自分」をきちんと認めてあげて、その自分を抱きしめてあげることです。
寂しさを埋めるために、人からの愛情を求めて他人に目を向ければ向けるほど、あなたの中の「弱い自分」は、益々寂しがってしまうだけなのです。
あなたが蓋をして目を背け続けている、繊細で小さな「自分自身」は、他人ではなく、あなた自身が迎えに来てくれることを、ずっと待っています。
あなたが優しく抱きしめて、「愛してるよ」「ずっと側にいるよ」と受け入れてあげることで、「小さな自分」は安心して、心を開き始めることができるのです。
その反映として、同じように、あなたを大事にしてくれる人が現れ始めます。
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「怒り」や「猜疑心」をしずめる方法
大切な人にこそ本当の自分を見せること
自分はどうしたいのか、どうしたくないのか、何が欲しいのか、何が嫌なのか。
これからのあなたは、一緒に生きていきたいと思う自分の大事な人にこそ、臆せずにそれらをきちんと伝える必要があります。
なぜなら、あなたを本当に愛していて、一緒に生きていきたいと思っている人なら、あなたがどう思っているのかを、知りたいと思っているからです。
大切な人に本当の自分を知られることを、どうか恐れないでください。
あなたにそうすることができないのは、自分で自分のことが認められていないからです。
本当の自分を「悪いもの」であり、隠しておかなければならないものだと思っているのです。
それを人に知られてしまったら、嫌われてしまう、拒絶されてしまうと。
そして、あなたがそのようにジャッジをして自分のすべてを受け入れず、本当の自分を見せないから、目の前の相手もあなたのすべてを受け入れず、いいとこ取りをしようとするのです。
いわゆる「条件つきの愛情」しかくれない人が目の前に居るのだとすれば、それは、あなたが自分をそのように扱っていることの反映です。
あなたは、自分に価値がないから愛されないのだと思っているのかも知れません。
しかし、そうではなく、本当は価値があるのにもかかわらず、あなたが自分で「無い」と定義しているから、人からもそのように扱われるというだけなのです。
ですから、気に入られたくて愛してほしくて、相手に価値を提供するために自分の気持ちに蓋をして、「相手はこういう感じを望んでいるだろうとあなたが思う自分」を演じるなどというのは、逆効果なのです。
そうやって本当の自分を抑圧すればするほど、あなたは人からも尊重されず、どんどん惨めな気持ちになっていきます。
物事というのは、光と影、陰と陽で成り立っています。
つまり、綺麗なだけの人間など存在しません。
汚い部分も含めて、自分は等身大の人間であるということを、自分自身が受け入れることができれば、自分の本当の姿を、人にも見せることができるようになります。
そしてあなたも、完璧ではない、ありのままの相手のことを、受け入れることができるようになります。
あなたは全部、そのままでいいのですよ。
そのままのあなたにこそ、価値があるのです。
もし、目の前の相手にそれを受け入れてもらえないのであれば、その関係はあなたには必要ないので、終わりにしていいものですよ。
本当の気持ちを隠した人間関係から、心の充足や安息を得ることなど、決してできません。
心配しなくても、あなががそのままのあなた自身を愛し、必要とし、手を取り合って一緒に生きていれば、その反映として、同じように本当のあなたと生きていくことを求める人が、必ず現れます。
ですから、あなたはもう、必死に「いい子」や「立派な人」になって、誰かの心を繋ぎ止めようとしなくたって、いいのです。
我慢して自分を抑える代わりに一定の評価を得るよりも、自由に自分を表現できる人生の方が、余程満たされるということを実感したとき、あなたはもう、元の生き方に戻ろうなどとは、きっと思わなくなることでしょう。
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「嫉妬」や「劣等感」が消え、自信がつく生き方
依存する自分を責めなくていい
色々と厳しいことを書きましたが、これだけはお伝えしたいと思います。
共依存に陥って抜けられない自分、執着心を捨てられない自分を、どうか責めないでください。
それが悪いことだと言っているのでは、ないのです。
ただ、あなたが望めば、そこから学ぶことは、もう終わりにすることができるのです。
強い執着を持つということには、必ず理由があります。
あなたは、その関係から何かを学びたいと考えているのです。
すべてのことは、あなたに必要だから、何か学びたいことがあるから起きているのだと、自分の人生を信頼してください。
あなたは、あなた自身からとても愛されているのですよ。
ただあなたを苦しめたり傷つけたりするために、いたずらにこのことを起こしているのではありません。
すべては示唆であり、意味のあることです。
それが何なのか、あなたに一体何を伝えたいのか、自分自身と対話をしながら、明確にしていきましょう。
お読みいただき、ありがとうございました。
あなたの人生を、いつも信じています。