今回は、「人に嫉妬したり、劣等感を抱いたりしてしまう」「自分に自信がない、自分には価値が無いように感じてしまう」といったお悩みをお持ちの方へ、人目を気にせず、自信を持って楽しく生きるための方法や考え方をお伝えします。
「他人とのコントラストは、自分を受け入れるためにある」の項目では、参考事例として、私自身の話をさせていただいています。
嫉妬や劣等感は何故生まれるのか
人に嫉妬したり劣等感を抱いたりするのは、あなたが本当の自分を押し込めて、我慢しているからです。
「自分が本当にやりたいことをやる」ということに、自分で許可を出すことができていないからです。
自分自身のアウトプットを許可できないということは、つまり、自分で自分を認められていないということであり、それによって、人は孤独を感じたり、自分に価値が無いように感じたりするのです。
逆説的に、抑えていると欠乏感が生まれて、出していると満たされるのです。
嫉妬するということは、羨ましいということです。
自分がやりたいことを実際にやっている人を見ると、羨ましいと思い、それがあなたの強く望んでいることであればあるほど、その感情は高じて、妬ましいという気持ちになっていきます。
それは、本質的には、本来の自分を抑圧する、自分自身に対する怒りやもどかしさなのです。
そのため、あなたが自分の本当の望みや求めているものに手を伸ばすことに、自分で許可をおろすことができたとき、嫉妬の感情は落ち着いていきます。
そして、劣等感というのは、あなたが自分の価値を認めず、「人と比べて劣っている」と定義しているために感じるものです。
人と比べるのは、自分などあてにならないとして、判断基準を外側に置いているからです。
誰かが決めた基準を「正しい」と思い込み、そこに照らし合わせて、自分は不十分だと感じているのです。
そのような人というのは、上の上に立ったり、人に勝ったりすることで自分の価値を作ろうとしたり、逆に、自分一人では生きていけないと思い込み、誰かの庇護を得ようとしたりします。
しかし、根本的に「自分には価値がない」という観念に立脚している限りは、どのような結果を得ようとも―例え人から見て成功を収めようとも、決して満たされることはないので、欲求はどんどんエスカレートしていきます。
そして、欠乏感を埋めるために、必死になって自分の価値を作ろうと、何でも利用しようとします。
それは、あなたが「必要なものは、もう既に全部持っているのだ」と気づくまで、終わりません。
性質や能力、思考、感覚―あなたという人間を構成する要素はすべて、そのままで、あなたを幸せにするのに、必要十分な力なのです。
そのことに気づき、自分のすべてを受け入れ、心のままに生き始めたとき、あなたはようやく、満たされるということを知ります。
すると、必然的に人と比較する必要がなくなるため、あなたの中の劣等感は消えていきます。
自信の強さは、自分自身を解放している度合いに比例する
あなたが自分の心に従い、本当にやりたいことに夢中になっているとき、あなたは決して、人を羨ましいとは思いません。
自分のしていることが一番面白いことなので、人のことなど気にならなくなるからです。
そのため、どちらが上だとか正しいだとか、比較しようとすることもなく、人のやっていることは人のこととして、認められるようになります。
自信というのは、あなたが本来の自分に価値を置いて尊重すること、それによって自分を喜ばせてあげることの、積み重ねによってついていくものです。
そのため、自信の強さというのは、あなたが本来の自分を解放して生きている度合いと比例します。
初めから自信がなくたって、構わないのです。
例え先のことがわからなくて不安でも、これからは絶対に自分を優先するのだという覚悟を決めたら、あなたは、どのような局面においても、自分を守り抜く勇気を持つことができるからです。
あなたの中の「本当の自分」は、初めからあなたに完璧さを求めているのではなく、その誠意のほどを推し量っているのです。
つまり、自分自身との信頼関係こそが、文字通り「自信」である、というわけです。
人は、どれだけ「条件」で武装したところで、本来の自分を蔑ろにすればするほど、自信を失っていくものなのです。
他人とのコントラストは、自分を受け入れるためにある
あなたは、自分に人とは違う部分があることを、「普通」ではないことを、正さなければならない「悪いこと」、隠さなければならない「恥ずかしいこと」だと思っていますか。
根本に自己否定があると、自分を構成するすべての要素に対して、否定的になってしまうものです。
しかし、あなたに何らかの特徴的で一般的ではない要素があるとすれば、それは、あなたをさいなむためにあるのではありません。
自分と他人との違い、「自分の輪郭」を認識するためにあるのです。
明確な違いがなければ、あなたは、自分を能動的に「受け入れよう」と、意識する機会すらありません。
「皆がそうでも、私はそうは感じない」からこそ、「私はこう感じるのだ」ということが際立って、わかりやすくなるのです。
あなたが「自分は何か人と違う」という疎外感を持っているのだとすれば、「それが自分なのだ」と受け入れたとき、あなたの中の疎外感や劣等感は、自然と消えていきます。
すべてのことに、いいも悪いもありません。
ただ、存在するという事実があるだけです。
そのことに対して意味づけをしているのは、あなた自身なのです。
すべてはあなたが「本当の自分」を生きるための示唆
あなたを構成する要素は、すべてあなたを幸せにするためのものだと言いましたが、一般的にはそれが「悪いもの」だと言われている場合でも、そうなのでしょうか。
そうです、例外はありません。
そこにジャッジは必要ないのです。
あなたのすべては、あなたの幸せに寄与します。
例えば、私は数年前に、とある疾患があるという診断を受けたのですが、症状が出始めてからしばらく時間が経ってしまっていたため、既に進行した分の病巣は、もう治すことができません。
そのため、もっと早くから治療しておけば、そもそももっと気をつけて予防しておけばと、大変後悔しました。
ですが、その診断が下りたことと、治療による副作用に苦しんだことによって、私のうつ症状は悪化し、自分で自分の気持ちに寄り添わなければ、そこから立ち直ることができませんでした。
つまり、その出来事は、私が自分自身と向き合う取り組みを始めるための、直接的なきっかけとなったのです。
すべての出来事は、あなたが自分を受け入れ、本当の自分を生きるために、必要なことを示唆してくれているのです。
そもそも、私は元来、アレルギーや化学物質過敏症、HSP、こだわりの強さや過集中といった、かなりセンシティブで独特な体質・性質を持っているために、昔から、集団生活を送ることが非常に苦手です。
自分のペースや生活スタイルを、十把一絡げに規定され押し付けられることが、苦痛でたまらないのです。
しかし、他の人にとっては何でもないようなことが、なぜ私にとってはこんなにも苦痛なのか、他の人には簡単にこなせることが、なぜ私にとってはとてつもない労力を要することなのか、子どもの頃の私には、わかりませんでした。
また、こういった内面的な違いは外側から見てもわからないので、私の辛さは、周囲の人からは理解できないようでした。
そのため、そのような自身の生きづらさについて、私は、自分のわがままや気にしすぎなのだと思い、普通に見えるよう、人に合わせる努力をしてきました。
私の感覚過敏と追究型の思考は、要するに、直感力と理論構築力の両方を兼ね備えているということであり、本質を見抜く洞察力に長けているのです。
しかし私は、その能力を自覚しておらず、むしろ、自分の考えを人に伝えるのは、どうやら生意気で失礼なことのようだと感じ、いつも本音を言えませんでした。
それは、私が女性であることから持っている「大人しくしていないと、攻撃されてやり込められる」という、恐怖心にも起因していました。
つまり、他人にとって「見た目通りの」役割を演じられるように、「いい子」「いい人」に見えるように、何もわからない、感じないふりをして、ずっと本当の自分に蓋をして、我慢をしてきたのです。
しかし、私が「社会性」だと思い込んでいた振る舞いが、私に生きやすさを与えたかというと、ただ「こなせる」ようにはなりましたが、決して「幸せ」にはなりませんでした。
本当の自分を隠して「普通の人」の仮面を被り続ける人間関係と社会生活には、孤独感と諦めしかありませんでした。
そして、いつか本当の自分がバレてしまって、私はみんなから嫌われてしまうのだと、無意識にいつも恐怖していました。
この、長年の強い自己抑圧が、体にも負担をかけてしまったのだろうと、今にして思います。
そして、やっと自分と向き合う取り組みを始めてから、「自分はこれで良かったのだ」と思えたとき、私は、生まれて初めて安堵したことを、今でも覚えています。
生きづらさを解消するためには、自分に「努力」を強いる必要など、なかったのです。
他でもない私自身が、ただ「そのままでいいよ」と受けれてくれれば、それで良かったのです。
私はそのことに気づきたくて、他人からの否定的な態度を通して、自分に訴えかけ続けてきたのでした。
自分を受け入れたとき、あなたのすべてが宝物に変わる
私は、自分がこんな風でなければもっと楽に生きられたのに、色々なことが楽しめたのにと、ずっと自分を疎み、人を羨んできました。
そのことは、自分自身を酷く寂しがらせ、「私は要らない存在なのだ、愛してもらえない人間なのだ」と、思い込ませてしまいました。
そのことに気づいた私は、潜在意識に自分自身を迎えに行きました。
あなたは要らない存在なんかじゃないよ。
私は、あなたを愛しているよ。
あなたを愛していなかった訳じゃないの、どうでも良かった訳じゃないの。
「ちゃんとした自分」になることが自分のためなんだって、勘違いしてしまっていたの。
そうやってあなたに目を向けずに、ずっと寂しい思いをさせてしまって、本当にごめんね…。
これからは私がずっと側に居て、あなたを守るからね。
もう絶対にどこにも行かないで、ずっとあなたと一緒に居て、あなたのことを見ているからね。
もう、無理なんてしなくていい。
あなたは、やりたいことだけをやっていい。
ずっと、認めてあげられなくてごめんね。
あなたは、そのままでいいよ。
そのままのあなたでいられるように、私が守るよ。
しっかりと抱き締めて、そう伝えました。
私が自分のことを重荷に感じ、人を羨ましいと思っていたのは、ただ私が、自分の力を信じられずに、本当にやりたいことをやらせてあげていなかったからです。
それが正しいことなのだと信じて、やりたくないこと、向いていないことをさせ続けていたから、いつまでたっても満たされなかっただけなのです。
「こうすべき」「これが正しい」という固定観念や、典型的な「幸せ」、共通イメージの「素敵な経験」が、人を幸せにするのではないのです。
私に必要なものは、私に最も合う形で、すべて、私の元にやってきていたことに気がつきました。
私は、何も失ってもいないし、損もしていませんでした。
私が持っていないもの、経験していないことは、私にとって必要のないものだったのです。
人を羨む必要など、一つもなかったのです。
あなたは、あなたに必要なものを、すべて持っています。
あなたは自分の持って生まれたものを変えることはできないし、変える必要もないのです。
それこそがあなたを幸せにする、唯一無二の宝だからです。
あなたは、それを享受することを、自分に許可していいのです。
自分のすべてを受け入れたとき、あなたの自分自身に対する定義が、これまでとは180°変わります。
自分を責める理由にしていたあなたの「欠点」は、すべて、あなたを幸せにするための、「自分自身からの贈り物」に変わるのです。
「できない自分」を認めることで、本当の自信が身につく
ご説明した通り、私は形而上のことは得意なのですが、反面、物理的な操作や組み立て、空間認識などが非常に苦手です。
人が当たり前にできるようなことが、驚くほどできなかったりします。
慣れればできるようになるのですが、最初の理解が遅いのです。
具体的に言うと、例えば、鍵の開け方がわからなくて、家に入れなくなったこともありました。
外れた引き出しが元に戻せなくて、メーカー修理を依頼したこともあります。
隣のビルへの行き方がわからず道に迷って、元居た場所にも戻れなくなりました。
そして、その度に私はパニックになり、恐怖で泣いてしまうのです。
しかし、自分は大人なのに、そんな情けないことになっているということなど、誰にも言えませんでした。
私は、何かしたことのないことをしようとする度に、いつも怯え、緊張していました。
何か悪いことが起こるような、嫌な気持ちになっていました。
それは要するに、自分に叱られることが怖かったのです。
私はいつも、自分自身から監視され、さいなまれていたからです。
何でそんなこともできないの?
いい加減にしなさいよ。
そうやって、自分に責められることが、怖くてたまらなかったのです。
どうして私だけ、みんなと同じようにできないんだろう。
みんなにできるんだから、私にだってできるはずなのに、努力が足りないんだ。
みんなは気にしていないのに、何で私だけこんなことが気になるんだろう。
こんなの気にしすぎなんだ、私がおかしいんだ。
わがままだ、怠惰だ、自分勝手だ。
いつもそうやって、自分を責めてきました。
でも、例え他のみんなとは違っていても、自分の能力も感覚も、否定しなくていいのですよ。
それは、悪いことなんかじゃないんですよ。
私は、怯えて萎縮しているのに、それを言えなくて我慢し続けている自分自身にもやっと気がついて、潜在意識に迎えに行きました。
自分のペースでいいよ。
無理しなくていいよ。
気になることを流さなくていいよ。
焦らなくていいよ。
罪悪感を持たなくていいよ。
私は、私のままでいいんだよ。
私がそう言ってくれたことで、それからは、「できない」ことに恐怖し、強い不安にさいなまれるということが、なくなっていきました。
自分のためを思って自分に厳しくする気持ちは、よくわかります。
でも、それは自分自身に対する、エゴの押し付けに他なりません。
それがどのようなものであっても、あなたの性質は変えられないし、変える必要もないのです。
ですから、そのことにあなたが気づいて自分を受け入れるまで、「できない」と思わせられ、無力を感じさせられるような出来事が、目の前に起こり続けます。
できないことを責めてなじったり、無理矢理やらせようとしても、自信が身につくどころか、本当の自分は、怯えて苦しむようになってしまうだけなのです。
自分のすべてを認めてあげることで、あなたは安心して、思いのままに、のびのびと振る舞えるようになります。
その、「自分は自分を受け入れてくれる」という安心と信頼こそが、「本当の自信」なのです。
それが身につくことによって、あなたは無理をしなくても、自然と本来の力を発揮して、創造的な人生を歩んでいけるようになります。
焦る必要はない、すべては完璧なタイミングで起きる
物事が自分の思うように上手く進まなかったとしても、現実に抗う必要はありません。
あなたの人生には、必要なときに必要なことしか起きません。
何故なら、現実とは、外側から突然降って湧いてくるものではなく、あなた自身が潜在意識で必要とし、望んだことの反映だからです。
ですから、今すぐにできないことを、無理してやらなくてもいいのです。
今できないなら、それは、今やらなくてもいいことなのです。
例えどのようなときであっても、「こんなことでは駄目だ」と、自分を責める必要はありません。
あなたはただ、動きたいときに動いて、動きたくないときは動かなければいいのです。
それによって、あなたは必要な学びを得ることができるのだと、自分の人生を信頼してください。
今すぐすべてを完璧にしなくては、もっとちゃんとやらなくてはと焦ってしまうのは、あなたがずっと、「このままじゃ責められる」「怒られる」と、身構えていたからです。
そのため、「焦らなくてもいいよ」「自分のペースでいいよ」「大丈夫、私はあなたを嫌いになったりしないよ」と、繰り返し自分に伝えて、安心させてあげてください。
やがて学びが終わり、「壁」が取り払われる
そうやって、徐々に自分を受け入れていった私は、やがて、「ちゃんとした自分」とお別れするタイミングを迎えました。
それは、そうしないと私は生きていけないのだという思い込みから、本当の自分を押し込めて表に立てていた、「仮面の私」です。
ずっと長い間私を守ってくれた、その「自分で作り出した自分」とお別れすることは、寂しいことでもありました。
でも、私の中にある「本当の自分として生きていきたい」という気持ちは、もう、臨界点に達していたのです。
だから、彼女に対して、自分の本当の気持ちを伝えました。
今まで頑張ってくれてありがとう。
でも私、そうやって自分のやりたくないことに時間と労力を使うのは、もう嫌なの。
それが「正しい行い」と言われるものだとしても。
私、本当はわかってる。
そうやって「仮面の自分」で接する相手には、私を傷つけさせてしまうことになる。
そんな合意はもう、したくないの。
でも、本当に大丈夫?
私、本当に私として生きていけるのかな…?
大丈夫。
あなたならできるよ。
あなたは大丈夫。
もう大丈夫だよ。
私を信じて。
あなたを愛してる。
ずっとずっと私が側にいて、あなたを守る。
私の中から、自分自身からの力強い言葉が、どんどん溢れてきました。
今の私の潜在意識は、こんなにも、自信と信頼に満ち溢れているのだということを、改めて実感しました。
あぁ、私はもう、大丈夫なんだ…!
そのとき、「ちゃんとした自分」からの抗議を感じました。
切なさが胸をよぎりましたが、私はもう、はっきりと言いました。
今まで私を守ってくれて、ありがとう。
でも、私はもう、本当の私として生きていける。
だからもう、あなたに守ってもらう必要はないんだよ。
もう、必要ないの。
今までのこと、本当に感謝してる。
でも、このままあなたがいると、私はずっと、押し込められて苦しいままなの。
私はもう、本当の自分として生きていきたい。
そうするって決めたの。
私にはもう、それができるから。
だからもう、あなたとはお別れする。
今まで、本当にありがとう。
さよなら。
あなたを愛してる。
愛してるよ…。
そうしたら、彼女は、光へと還っていきました。
学びが終わったことを実感したら、そのことを、自分自身にはっきりと告げる必要があります。
するとあなたは、もう自分には必要のなくなったものを、感謝とともに手放すことができます。
そのようにして、自ら作り出した自分を封じていた壁を打ち破ることによって、潜在的な合意が解け、抑圧的な環境や人間関係は、自然と周囲からなくなっていくのです。
▼ これらの言葉を、繰り返し自分に伝えてあげてくださいね。 あなたは、自由になっていい もう、何にも煩わされずに、邪魔をされずに、好きなように空を飛んでいい そして、雲に飛び移って、好きなように駆け回っていい 大丈夫だよ 私が、全力であなたを守るから あなたが ... 続きを見る
自分の力を解き放つための言葉
「使命」で自分の価値を作ろうとしなくていい
私は、「使命探し」を推奨していません。
使命を探すということは、要するに、「今の自分には価値がない」という観念に立脚して、使命を使って自分の存在価値を作ろうとする行為に他ならないからです。
今現在、あなたが自分のやりたいことに夢中になっているとすれば、わざわざ別の場所にある使命を探そうという発想にはなりません。
使命が欲しいと思うのは、今あなたが自分の本当にやりたいことをやっていないから、現状に不満があるからです。
つまりあなたは、今この瞬間に、自分のやりたいことをやるということについて、自分に許可がおろせていないのです。
だから、あなたが安心したい、自分の人生に確信を持ちたいというのであれば、効果的なのは、あなたが自分を受け入れられない理由を潜在意識に入って探し、その理由となっている観念を変えることです。
そうすれば、使命を探したり人に指摘してもらったりしなくても、あなたは自分の中から自然と湧いてくる気持ちを素直に実感し、それに従って行動することができます。
誰にでも共通する、普遍的な「使命」があるとすれば、それは、「本来の自分自身を否定せずに生きること」です。
顕在意識には先のことなどわからない
そもそも、全体から見た自分の役割というものは、人生の最後に振り返ってみて、初めて「こういうことだったんだな」とわかるものです。
自分の人生の結果など、顕在意識にはわかりません。
それなのに、先に使命を決めてしまうことは、自分で自分を制限することになってしまいます。
自分の心や行動に対して、何らかの制限や規制を課する必要は、一切ありません。
あなたがその時々で、最もやりたいことをやっていれば、やがてそれらはすべて繋がって、何らかの形になっていくのです。
顕在意識で考えうる範囲というのは、非常に限定的なものです。
あなたの潜在意識は、顕在意識よりも遥かに視野が広いため、顕在意識ではとても考えの及ばないような、有機的な展開が創造されていきます。
顕在意識は、ただそれを享受すればいいのです。
役割や結果などにこだわらず、あなたは、今あなたがやりたいことに集中してください。
真に信頼できる指標は、決して、理屈や固定観念ではありません。
あなたが本来の自分を発揮するために必要なことは、自分がしっくりくる選択をすること、その自然な感覚に抗わないことです。
それを押し留める理由は、何もありません。
あなた自身の、「それはいけないことだ」という思い込み以外は。
あなたが自分自身に率直に生きれば生きるほど、あなたの心は満たされ、その反映として、人生はどんどん豊かになっていきます。
もっと、あなたの人生を、自分自身を信頼してください。
自分以外の外側に頼る必要なんて、ないのですよ。
あなた自身よりもあなたを幸せにしてくれる「何か」など、存在しません。
お読みいただき、ありがとうございました。
あなたの人生を、いつも信じています。